2013年06月11日
出会い
「おいでよハウス」を立ち上げた所長の関さん。
関/お金に結びつかなくても
醸し出す空気を
彼は大事にしている。
それを人に伝えたいという部分は
僕より感度がいい。
羨ましいくらいな感性。
それが社会の中で通用するかというと、
難しい。
そういう感じ方は大事にしたい。
2004年?SBCの番組でのコメントのひとつ。
この時は、所長の関さんではなく、そこで働く若者にスポットが当てられていたので、
多くは紹介されなかったが、このコメントだけでもその人柄が伝わってきそうな気がする。
そんなイメージを持ちつつDVDを見た記憶がある。
まさか…千曲市戸倉庁舎にいらしたとは!
まさか…「カモ?」などと言っていたのがその人だったとは!!
世の中狭い…ったって、まあ長野県内の話だし。
出会ったからって不思議はないが。
ただ、その番組を制作したプロデューサーの方が、
今度は中途失聴・難聴者と要約筆記を取り上げたいらしいという
不思議な縁を感じる。
関さんが登場したこの番組でも、このプロデューサーの方は
手話でのコミュニケーションを仲介する手話通訳士も取り上げている。
聴覚障がいに対しての意識が強い方だと思う。
ちなみに…このプロデューサーの方、かなりの美人です!
要約筆記のPR、なればいいなぁ~!
要約筆記通訳の難しさ、重さをもっと知ってもらえると嬉しいなぁ~

などと、不思議な縁を感じながらも、要約筆記の将来を案じている、「要約筆記バカ」…の私だった
(本日の研修、要約筆記とは一切関係ありません…あしからず)
関/お金に結びつかなくても
醸し出す空気を
彼は大事にしている。
それを人に伝えたいという部分は
僕より感度がいい。
羨ましいくらいな感性。
それが社会の中で通用するかというと、
難しい。
そういう感じ方は大事にしたい。
2004年?SBCの番組でのコメントのひとつ。
この時は、所長の関さんではなく、そこで働く若者にスポットが当てられていたので、
多くは紹介されなかったが、このコメントだけでもその人柄が伝わってきそうな気がする。
そんなイメージを持ちつつDVDを見た記憶がある。
まさか…千曲市戸倉庁舎にいらしたとは!
まさか…「カモ?」などと言っていたのがその人だったとは!!

世の中狭い…ったって、まあ長野県内の話だし。
出会ったからって不思議はないが。
ただ、その番組を制作したプロデューサーの方が、
今度は中途失聴・難聴者と要約筆記を取り上げたいらしいという
不思議な縁を感じる。
関さんが登場したこの番組でも、このプロデューサーの方は
手話でのコミュニケーションを仲介する手話通訳士も取り上げている。
聴覚障がいに対しての意識が強い方だと思う。

要約筆記のPR、なればいいなぁ~!
要約筆記通訳の難しさ、重さをもっと知ってもらえると嬉しいなぁ~


などと、不思議な縁を感じながらも、要約筆記の将来を案じている、「要約筆記バカ」…の私だった

(本日の研修、要約筆記とは一切関係ありません…あしからず)
2013年06月11日
「通訳」…って…
今しがた、ツイートされたものが…衝撃の事実だったりして…思わず紹介。
「きみ、英語得意なんだって?ちょっと『通訳』してよ」というのは、「運転得意?ハイヤーの運転してよ」とか「料理得意?レストランの厨房預かってくれる?」とかと同等(もっといい例ないかしら)。それらしいことはできても、プロにはかなわない。なんで通訳はこう軽んじられるのか
Yumiko F @nest1989 (20130611 12:20頃)
うん!同感!
外国語や手話の通訳は、「できない人」がいる分、まだ重さがある。
要約筆記は…泣けるほど軽んじられている。
「要約筆記?何それ?」…当たり前のレベル…(泣)
「字で?それなら誰にでもできるから、内々でやるから要らない」…たまにあるレベル(泣)
「通訳?そんなのなくても普段からコミュニケーションできているから大丈夫」
…全然わかってないレベル…でも、結構多い(泣)
つまり…
「字?書ける書ける。うん、書くから大丈夫だよ。」…あれ?普通ジャン…ってことね。
わかります?どれほど軽いか…(泣)
通訳は軽んじられている。中でも、要約筆記という聴覚障がい者に音声情報を文字に変えて伝える通訳は!
「書ける」=書いて伝えることができる…とはならない。
よく手話通訳の方々がおっしゃいますよね、「手話ができる」=「手話通訳ができる」ではない!と。
それでも、手話の場合、手話ができるという制限があるんですよね。
要約筆記の場合は…
誰でも文字は書けるので、それだけで、だれでもできると思われてしまう。
でも逆じゃないかなぁ?
外国語や手話は、覚えれば、通訳は難しくてもコミュニケーションの世界は広がる。
だけど、要約筆記は「通訳」としてしか存在しないもの。
文字が書けるだけなら「筆談」というコミュニケーション方法があると思う。
他にもメールやチャットというコミュニケーション方法、
新聞や雑誌、電光掲示なども文字情報ではある。
けど、要約筆記は必ず、人と人の間で話を仲介している「通訳」。
日本語から日本語へ…
だから誰にでもできると思われるもの…なんでしょうね。
利用者の話、家族の話、関係者の話を聞き取り、計画を立てるのが、ケアマネの仕事。
ケアマネの中には…
「皆さんの話を記録しきれない。話に追いつけない…。」と悩む人さえいる。
記録でさえ…である。
それを読み手のある「通訳」だったら…
その場で、書いたものは読み手に通じなければならず、読み返しや訂正は難しいというのに…
なぜ、軽く「書けるから~」と思われてしまうのだろうか?
PR不足なのかな…
「きみ、英語得意なんだって?ちょっと『通訳』してよ」というのは、「運転得意?ハイヤーの運転してよ」とか「料理得意?レストランの厨房預かってくれる?」とかと同等(もっといい例ないかしら)。それらしいことはできても、プロにはかなわない。なんで通訳はこう軽んじられるのか
Yumiko F @nest1989 (20130611 12:20頃)
うん!同感!
外国語や手話の通訳は、「できない人」がいる分、まだ重さがある。
要約筆記は…泣けるほど軽んじられている。
「要約筆記?何それ?」…当たり前のレベル…(泣)
「字で?それなら誰にでもできるから、内々でやるから要らない」…たまにあるレベル(泣)
「通訳?そんなのなくても普段からコミュニケーションできているから大丈夫」
…全然わかってないレベル…でも、結構多い(泣)
つまり…
「字?書ける書ける。うん、書くから大丈夫だよ。」…あれ?普通ジャン…ってことね。
わかります?どれほど軽いか…(泣)
通訳は軽んじられている。中でも、要約筆記という聴覚障がい者に音声情報を文字に変えて伝える通訳は!
「書ける」=書いて伝えることができる…とはならない。
よく手話通訳の方々がおっしゃいますよね、「手話ができる」=「手話通訳ができる」ではない!と。
それでも、手話の場合、手話ができるという制限があるんですよね。
要約筆記の場合は…
誰でも文字は書けるので、それだけで、だれでもできると思われてしまう。
でも逆じゃないかなぁ?
外国語や手話は、覚えれば、通訳は難しくてもコミュニケーションの世界は広がる。
だけど、要約筆記は「通訳」としてしか存在しないもの。
文字が書けるだけなら「筆談」というコミュニケーション方法があると思う。
他にもメールやチャットというコミュニケーション方法、
新聞や雑誌、電光掲示なども文字情報ではある。
けど、要約筆記は必ず、人と人の間で話を仲介している「通訳」。
日本語から日本語へ…
だから誰にでもできると思われるもの…なんでしょうね。
利用者の話、家族の話、関係者の話を聞き取り、計画を立てるのが、ケアマネの仕事。
ケアマネの中には…
「皆さんの話を記録しきれない。話に追いつけない…。」と悩む人さえいる。
記録でさえ…である。
それを読み手のある「通訳」だったら…
その場で、書いたものは読み手に通じなければならず、読み返しや訂正は難しいというのに…
なぜ、軽く「書けるから~」と思われてしまうのだろうか?
PR不足なのかな…
