2014年02月08日
要約筆記活動…ってさ
要約筆記の活動っていうと、
知っている人にとっては、現場での通訳がメインだと思われがちだよね…。
実際、通訳に出ている要約筆記者からもそういう声が聞こえてくるのね。
ん~~でもねぇ…それだけじゃない部分…そいつが大事な部分だと思うんだけど…。
(以下は「続きを読む」をクリック!)
知っている人にとっては、現場での通訳がメインだと思われがちだよね…。
実際、通訳に出ている要約筆記者からもそういう声が聞こえてくるのね。
ん~~でもねぇ…それだけじゃない部分…そいつが大事な部分だと思うんだけど…。
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要約筆記は通訳です。要約筆記は利用者である中途失聴・難聴者の権利擁護となるものです。
はい、ごもっとも。で、ありつつ…
要約筆記は中途失聴・難聴者の支援をしていく、対人支援でもある。
ですね。この部分、「要約筆記の通訳は」対人支援になると考えると、わかりやすいんですけど…
問題はそんなに簡単じゃない。
通訳現場で中途失聴・難聴者と関わっているだけでは見えてこないニーズ…
(だって中途失聴・難聴の皆さんが要約筆記者に遠慮してはっきり言わないもの)
そこを見ていくのが対人支援。その人個々が持つニーズ…これは要約筆記に対してもある。
「全部、その瞬間に一緒に聞きたいって言ったって物理的に無理」
はい、その通りです。
だってさ、いったん私たちが聞いてから書いたり、パソコンに入力したりして伝えるんだもの。
けどね。「無理」の一言で終わらせてはいけないのが対人支援なの。
「そこまで求められたら要約筆記なんかできない!」
この声もごもっとも。
こういう声が出る原因は要約筆記がサイドビジネスだから。
主婦中心の呼ばれるときだけの事業だから。
専門職といいながら、専門職として成立しない現状だからなのよ。
西さんのブログに…
昨年、12月19日・富山県砺波市議会にて手話言語法が可決。
昨年、12月25日・富山県滑川市議会にて手話言語法が可決。
これで、富山県と富山市を合わせて4つの議会にて手話言語法が可決しました。
一方では忘れられがちな難聴者への情報保障の問題があり、聴覚障害者の情報
保障手段は、 手話だけではなく『筆記』や『要約筆記』も重要なのだという事を訴えて行く必要
も痛切に感じてます。
手話通訳養成講座だけではなく、要約筆記者養成講座をもっと活発に宣伝し、受講生拡大、
強化に繋がればと願っています。
佐村河内氏の問題、根底にあるのは障がい者差別に他ならない。
どうして詐称だとか騒ぎたてるのか、人格攻撃を仕掛けるのか、マスコミの対応に疑念をもつ…
これ、やっぱり要約筆記の活動をしているから感じることなの。
もし、仮にこうした疑問をまったく抱かずにマスコミの報道を鵜呑みにしている要約筆記者がいたら…
試験問題に対してパーフェクトな解答ができたとしても…適正は疑うわね。
おそらく、いないと思っているけどね。
昨日の私のブログ「難聴理解の不足」への当事者からの反応を掲載するから読んでほしい。
マスコミの報道には少なからず違和感を感じていらっしゃる様子を読み取っていただきたい。
う〜ん、なかなかの問題が表面化してきましたね。
その問題は、しかも最もデリケートな内容を二点含んでいると直感的に感じました。
その1,
芸術分野に置ける分業制と、著作権。
分業制作や委託制作なんてのは、
音楽のみならず文芸、美術の分野では当たり前の事で
今更何を言っているのかと訝しく思い、
ただ単に、委託作曲した側が著作権料を沢山くれなかったからのカネにまつわるいざこざから表面化したモノだと僕は睨んでいます。
その2、
聴覚障害者は「聞こえない人」の誤解から来る諸々の案件は、
それ自体が聴覚障害者差別の根っこに横たわっている差別を生む温床なのだと改めて確認させられ、
誤解を内在したままこれから報道されると思われる
作曲者バッシングの中で、中途失聴・難聴者への誤解が尾ひれを付いて広まる予感をしており、
又 一から「難聴者とは」と啓蒙して行かねばならない事態になるやも・・・。
中途失聴者であっても全く「聞こえない人」ではないのです。
そして、日本語を獲得した後に失聴したとは言え、
話が出来ない訳でもなく話しが全く聞こえないわけでもないことを指摘しておきます。
Posted by 西 at 2014年02月07日 11:06
あ!書き忘れました。
僕のブログですが
持論を展開していますのでお時間がありましたら又読んでみて下さい。
http://www.number7.jp/bbs/nishiart/
Posted by 西 at 2014年02月07日 11:07(前出ご紹介あり)
私も聴覚障害者で、手帳では2級の難聴です。
今回の件は、聴覚障害を持った方がその障害を乗り越えて社会的成功を収めてこられたことに対しての”裏切り”が問題になっているんでしょうね。
たまたま聴覚障害者が関係した事件ですが、問題はもっと深いところにあるのではないでしょうか?
現代社会の抱えている”ひずみ”がもたらす格差社会。
障害を持つ方々に対する蔑視が表に現れた事件であるように思えます。
障害者差別禁止法、障害者総合福祉法、ノーマライゼーション、ユニバーサルデザインなどの言葉が頻繁に使われるのは、それだけ社会が病んでいることの証なのではないでしょうか?
ろぜっとさんはケアマネさんなので、良くお分かりのことと思います・・・軽い認知症であっても、世間の多くの方は障害者として見ているのでは?
「普通」からはみ出てしまうと、カテゴリー的に「障害者」に分類されてしまうみたいです。
命の重さに軽い・重いが無いように、すべての人が心ひとつになれる社会になるといいな・・・。
Posted by <M> at 2014年02月07日 22:57
報道の在り方に…違和感を覚えてしまう、差別を感じるのは、この件だけではないけど。
特に難聴という障がいが取りざたされていると、どうしても「養護」する立場になってしまう。
だって…本当にわかりにくいんだよ、難聴っていう障害は…。
はい、ごもっとも。で、ありつつ…
要約筆記は中途失聴・難聴者の支援をしていく、対人支援でもある。
ですね。この部分、「要約筆記の通訳は」対人支援になると考えると、わかりやすいんですけど…
問題はそんなに簡単じゃない。
通訳現場で中途失聴・難聴者と関わっているだけでは見えてこないニーズ…
(だって中途失聴・難聴の皆さんが要約筆記者に遠慮してはっきり言わないもの)
そこを見ていくのが対人支援。その人個々が持つニーズ…これは要約筆記に対してもある。
「全部、その瞬間に一緒に聞きたいって言ったって物理的に無理」
はい、その通りです。
だってさ、いったん私たちが聞いてから書いたり、パソコンに入力したりして伝えるんだもの。
けどね。「無理」の一言で終わらせてはいけないのが対人支援なの。
「そこまで求められたら要約筆記なんかできない!」
この声もごもっとも。
こういう声が出る原因は要約筆記がサイドビジネスだから。
主婦中心の呼ばれるときだけの事業だから。
専門職といいながら、専門職として成立しない現状だからなのよ。
西さんのブログに…
昨年、12月19日・富山県砺波市議会にて手話言語法が可決。
昨年、12月25日・富山県滑川市議会にて手話言語法が可決。
これで、富山県と富山市を合わせて4つの議会にて手話言語法が可決しました。
一方では忘れられがちな難聴者への情報保障の問題があり、聴覚障害者の情報
保障手段は、 手話だけではなく『筆記』や『要約筆記』も重要なのだという事を訴えて行く必要
も痛切に感じてます。
手話通訳養成講座だけではなく、要約筆記者養成講座をもっと活発に宣伝し、受講生拡大、
強化に繋がればと願っています。
佐村河内氏の問題、根底にあるのは障がい者差別に他ならない。
どうして詐称だとか騒ぎたてるのか、人格攻撃を仕掛けるのか、マスコミの対応に疑念をもつ…
これ、やっぱり要約筆記の活動をしているから感じることなの。
もし、仮にこうした疑問をまったく抱かずにマスコミの報道を鵜呑みにしている要約筆記者がいたら…
試験問題に対してパーフェクトな解答ができたとしても…適正は疑うわね。
おそらく、いないと思っているけどね。
昨日の私のブログ「難聴理解の不足」への当事者からの反応を掲載するから読んでほしい。
マスコミの報道には少なからず違和感を感じていらっしゃる様子を読み取っていただきたい。
う〜ん、なかなかの問題が表面化してきましたね。
その問題は、しかも最もデリケートな内容を二点含んでいると直感的に感じました。
その1,
芸術分野に置ける分業制と、著作権。
分業制作や委託制作なんてのは、
音楽のみならず文芸、美術の分野では当たり前の事で
今更何を言っているのかと訝しく思い、
ただ単に、委託作曲した側が著作権料を沢山くれなかったからのカネにまつわるいざこざから表面化したモノだと僕は睨んでいます。
その2、
聴覚障害者は「聞こえない人」の誤解から来る諸々の案件は、
それ自体が聴覚障害者差別の根っこに横たわっている差別を生む温床なのだと改めて確認させられ、
誤解を内在したままこれから報道されると思われる
作曲者バッシングの中で、中途失聴・難聴者への誤解が尾ひれを付いて広まる予感をしており、
又 一から「難聴者とは」と啓蒙して行かねばならない事態になるやも・・・。
中途失聴者であっても全く「聞こえない人」ではないのです。
そして、日本語を獲得した後に失聴したとは言え、
話が出来ない訳でもなく話しが全く聞こえないわけでもないことを指摘しておきます。
Posted by 西 at 2014年02月07日 11:06
あ!書き忘れました。
僕のブログですが
持論を展開していますのでお時間がありましたら又読んでみて下さい。
http://www.number7.jp/bbs/nishiart/
Posted by 西 at 2014年02月07日 11:07(前出ご紹介あり)
私も聴覚障害者で、手帳では2級の難聴です。
今回の件は、聴覚障害を持った方がその障害を乗り越えて社会的成功を収めてこられたことに対しての”裏切り”が問題になっているんでしょうね。
たまたま聴覚障害者が関係した事件ですが、問題はもっと深いところにあるのではないでしょうか?
現代社会の抱えている”ひずみ”がもたらす格差社会。
障害を持つ方々に対する蔑視が表に現れた事件であるように思えます。
障害者差別禁止法、障害者総合福祉法、ノーマライゼーション、ユニバーサルデザインなどの言葉が頻繁に使われるのは、それだけ社会が病んでいることの証なのではないでしょうか?
ろぜっとさんはケアマネさんなので、良くお分かりのことと思います・・・軽い認知症であっても、世間の多くの方は障害者として見ているのでは?
「普通」からはみ出てしまうと、カテゴリー的に「障害者」に分類されてしまうみたいです。
命の重さに軽い・重いが無いように、すべての人が心ひとつになれる社会になるといいな・・・。
Posted by <M> at 2014年02月07日 22:57
報道の在り方に…違和感を覚えてしまう、差別を感じるのは、この件だけではないけど。
特に難聴という障がいが取りざたされていると、どうしても「養護」する立場になってしまう。
だって…本当にわかりにくいんだよ、難聴っていう障害は…。
Posted by ろぜっと山口 at 13:27│Comments(0)
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