2014年04月18日
「言葉の力」
myuさんのブログ「高田城 桜」から…
以下の文章が気になって…「言葉」にひっかかる要約筆記者の性?…で、調べてみちゃいました。
言葉の力 大岡 信
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、
正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように
美しいとは限らない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している
人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい
桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような
強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろう
と思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。
志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ
色が取り出せるのだ、と。
私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。
春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命に
なって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。
花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ
姿を出したものにすぎなかった。
考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という
時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。
たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。
このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。
言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。
一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出して
いる大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。
そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。
そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさ
そのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。
美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
(中学校『国語2』、光村図書出版)
う~ん…本職にも関わるとても大切な真理…のように感じます。
利用者であるお年寄りの言葉一つ一つの背後に背負っているもの…
それを聞き取る心の耳(みみばあちゃん様コメントより)が私たちのような職にある者には
特に必要なことなのですね。
また、「言葉の力」を検索している中で、英語の先生(?)のブログがヒットしました。
「Tomoko's Thoughts & E-channel~福山の英会話・イベント情報」2012年8月18日の記事
私たち要約筆記者は、聞いた日本語を読む日本語に換える通訳をするのですが、
これは外国語通訳の方とも共通する部分が多々あります。
そういう意味でも、このブログを書かれた方も、この大岡氏の随筆が気になられたのでしょうね。
言葉の一つ一つの持つ背景、背負っているものを大事にしながら要約筆記していきたい…と、
思ってはいますが、
現実は…いかがなものでしょうか?それほどの力量は私にはないですねぇ…(泣)
ですが…逆に背景がつかめると、要約率を上げても正しく伝えていける…そういう側面もあります。
(それは体験で…そう感じます)
今後は、お年寄りの言葉の背景にあるもの、背負ってきたものを聞き取れるケアマネになれるよう
頑張っていきま~~~す!
以下の文章が気になって…「言葉」にひっかかる要約筆記者の性?…で、調べてみちゃいました。
言葉の力 大岡 信
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、
正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように
美しいとは限らない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している
人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい
桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような
強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろう
と思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。
志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ
色が取り出せるのだ、と。
私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。
春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命に
なって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。
花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ
姿を出したものにすぎなかった。
考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という
時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。
たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。
このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。
言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。
一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出して
いる大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。
そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。
そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさ
そのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。
美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
(中学校『国語2』、光村図書出版)
う~ん…本職にも関わるとても大切な真理…のように感じます。
利用者であるお年寄りの言葉一つ一つの背後に背負っているもの…
それを聞き取る心の耳(みみばあちゃん様コメントより)が私たちのような職にある者には
特に必要なことなのですね。
また、「言葉の力」を検索している中で、英語の先生(?)のブログがヒットしました。
「Tomoko's Thoughts & E-channel~福山の英会話・イベント情報」2012年8月18日の記事
私たち要約筆記者は、聞いた日本語を読む日本語に換える通訳をするのですが、
これは外国語通訳の方とも共通する部分が多々あります。
そういう意味でも、このブログを書かれた方も、この大岡氏の随筆が気になられたのでしょうね。
言葉の一つ一つの持つ背景、背負っているものを大事にしながら要約筆記していきたい…と、
思ってはいますが、
現実は…いかがなものでしょうか?それほどの力量は私にはないですねぇ…(泣)
ですが…逆に背景がつかめると、要約率を上げても正しく伝えていける…そういう側面もあります。
(それは体験で…そう感じます)
今後は、お年寄りの言葉の背景にあるもの、背負ってきたものを聞き取れるケアマネになれるよう
頑張っていきま~~~す!
