2013年05月17日
山の名前、わからないの当然かも?
山の形って方向がすこ~~し変わるだけで、違うでしょ?
それだもの、名前なんか、覚えられっこないじゃん!
人間の顔と名前が一致しないのも、同じ理由かな?
違う服着たらイメージ違っちゃうもの!髪型変わったらわからなくなるし。
三角な山でした。この山…。
反対側にも…三角な山があったんだけど…
移動するにしたがって、いろいろな形に見えてきた…。
単純な三角がわかりやすいなぁ~

こちらは四角い山(笑)
坂城町?上田市になるのかな?
「岩鼻」トンネルの手前。
大ネズミや巨大猫…まるで怪獣映画みたいな伝説のある地域です。
伝説の内容は…
昔、むかし、南条村(現・坂城町)の鼠宿のあたりに恙虫(つつがむし)という毒虫がはびこり、
村人たちを大層苦しめた。
この虫は、明るいうちは暗い屋根裏部屋に潜んで夜になると動きだし、
寝ている人に食いついては血を吸い取る。
この虫に刺された者はたちまち高熱を発し、三日三晩苦しんだあげく死んでいく。
あちらの家では生まれたばかりの乳児が、
こちらの家では一家の大黒柱の父親と、犠牲者が後を絶たなかった。
このままでは恙虫で村が全滅してしまうと村の長老たちが寄り集まり、
退治する方法をあれやこれや考えた。
が、どれをためしてみてもうまくいかず、
最後は神頼みとばかり、村人総出で村の神社に願かけに行った。
ある晩のこと、村外れの洞窟の近くを通りかかった若者が、
白い大きな動物が走り去るのを目撃した。
翌朝早く村人たちと一緒に洞窟に来てみると、
描のように大きな白鼠がスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
この鼠が村に現れてからというもの、恙虫にやられたという声をばったり聞かなくなった。
「あの鼠が恙虫を一匹も残さず食べてくれたんだ。
きっと神様が遣わしてくれた神鼠に違いねえ。」
感謝した村人たちは、岩穴に立派な祠を建て鼠の好物をお供えして、
それはそれは大切にお祀りした。
ところが、おいしいものばかり食べて楽をしていた鼠は、
さらに身の丈が四尺五寸(約136cm)もある大鼠になり、
人里に出てきては畑の作物を食い荒らし、揚げ句の果ては人や馬にも手を出す始末。
一難去ってまた一難。
お世話になった神鼠様とばかりも言っていられなくなり、
何か良い手立てはないものかと、また村の長老たちが集まり知恵をだしあった。
この大鼠を退治できるような大猫は日本中どこを探してもいなかった。
一人の古老が、唐の国に住むという大きな猫に頼んでみてはどうかと提案した。
はるばる唐の国からやってきた大猫を目にした村人たちは、
皆口々に「この唐生まれの唐猫(からねこ)様は、まるでウシのようだ」と言い、
さっそく神鼠のいる岩穴へ唐猫様を連れていった。
急に外が騒がしくなったのを不思議に思った神鼠が岩穴の外へでてくると、
そこには今まで見たこともない大猫が今にも飛びかかろうと爪を磨いているではないか。
鼠は肝をつぶして岩にかけ登り懸命に逃げたが、会地(おうぢ)の近くで唐猫に追いつかれた。
唐猫は神鼠に襲いかかり首にかみついた。
神鼠はあまりの痛さにおもわずそばの岩にカブリとかみつき食いちぎってしまった。
その途端、かみ砕かれたところに、一気に湖水が流れ込んできて、
鼠も唐猫もともども流れにのみ込まれてしまった。
さて、流れにのみ込まれた唐猫は自力で篠ノ井(しののい)の塩崎にたどり着いたが、
神鼠のほうはとうとう上がってこなかった。
唐猫のお陰で村に再び平和が戻ってきたのを感謝して人々は、
塩崎に唐猫神社を造り手厚くお祀りし、
一方、悪さはしたが、恙虫を退治して村を救ってくれた神鼠も同じように、
鼠大明神として岩鼻に祠を建ててお祀りした。
この祠があったところが、現在の半過の岩鼻の中央部にある半過の洞窟であるという。
また、この神鼠に岩がかみ砕かれてできた流れが千曲川で、
ネズミに食いちぎられて残ったところが、この千川を隔てて相対している断崖で、
現在、半過の岩鼻と塩尻の岩鼻であるという。
塩尻という地名もここが大湖の北端であったので「湖尻」から転じたそうな。
…ということらしいです。もっと現実的な話もありましたが、それは割愛しちゃいます。
昨日、ネットで調べていてヒットしたものです。
ここみたいに、四角ければ覚えられるかな?
ここは違う角度から見ても四角かった…
ねずみ…という地名も…楽しいですよね(笑)
それだもの、名前なんか、覚えられっこないじゃん!
人間の顔と名前が一致しないのも、同じ理由かな?
違う服着たらイメージ違っちゃうもの!髪型変わったらわからなくなるし。
反対側にも…三角な山があったんだけど…
移動するにしたがって、いろいろな形に見えてきた…。
単純な三角がわかりやすいなぁ~

こちらは四角い山(笑)
坂城町?上田市になるのかな?
「岩鼻」トンネルの手前。
大ネズミや巨大猫…まるで怪獣映画みたいな伝説のある地域です。
伝説の内容は…
昔、むかし、南条村(現・坂城町)の鼠宿のあたりに恙虫(つつがむし)という毒虫がはびこり、
村人たちを大層苦しめた。
この虫は、明るいうちは暗い屋根裏部屋に潜んで夜になると動きだし、
寝ている人に食いついては血を吸い取る。
この虫に刺された者はたちまち高熱を発し、三日三晩苦しんだあげく死んでいく。
あちらの家では生まれたばかりの乳児が、
こちらの家では一家の大黒柱の父親と、犠牲者が後を絶たなかった。
このままでは恙虫で村が全滅してしまうと村の長老たちが寄り集まり、
退治する方法をあれやこれや考えた。
が、どれをためしてみてもうまくいかず、
最後は神頼みとばかり、村人総出で村の神社に願かけに行った。
ある晩のこと、村外れの洞窟の近くを通りかかった若者が、
白い大きな動物が走り去るのを目撃した。
翌朝早く村人たちと一緒に洞窟に来てみると、
描のように大きな白鼠がスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
この鼠が村に現れてからというもの、恙虫にやられたという声をばったり聞かなくなった。
「あの鼠が恙虫を一匹も残さず食べてくれたんだ。
きっと神様が遣わしてくれた神鼠に違いねえ。」
感謝した村人たちは、岩穴に立派な祠を建て鼠の好物をお供えして、
それはそれは大切にお祀りした。
ところが、おいしいものばかり食べて楽をしていた鼠は、
さらに身の丈が四尺五寸(約136cm)もある大鼠になり、
人里に出てきては畑の作物を食い荒らし、揚げ句の果ては人や馬にも手を出す始末。
一難去ってまた一難。
お世話になった神鼠様とばかりも言っていられなくなり、
何か良い手立てはないものかと、また村の長老たちが集まり知恵をだしあった。
この大鼠を退治できるような大猫は日本中どこを探してもいなかった。
一人の古老が、唐の国に住むという大きな猫に頼んでみてはどうかと提案した。
はるばる唐の国からやってきた大猫を目にした村人たちは、
皆口々に「この唐生まれの唐猫(からねこ)様は、まるでウシのようだ」と言い、
さっそく神鼠のいる岩穴へ唐猫様を連れていった。
急に外が騒がしくなったのを不思議に思った神鼠が岩穴の外へでてくると、
そこには今まで見たこともない大猫が今にも飛びかかろうと爪を磨いているではないか。
鼠は肝をつぶして岩にかけ登り懸命に逃げたが、会地(おうぢ)の近くで唐猫に追いつかれた。
唐猫は神鼠に襲いかかり首にかみついた。
神鼠はあまりの痛さにおもわずそばの岩にカブリとかみつき食いちぎってしまった。
その途端、かみ砕かれたところに、一気に湖水が流れ込んできて、
鼠も唐猫もともども流れにのみ込まれてしまった。
さて、流れにのみ込まれた唐猫は自力で篠ノ井(しののい)の塩崎にたどり着いたが、
神鼠のほうはとうとう上がってこなかった。
唐猫のお陰で村に再び平和が戻ってきたのを感謝して人々は、
塩崎に唐猫神社を造り手厚くお祀りし、
一方、悪さはしたが、恙虫を退治して村を救ってくれた神鼠も同じように、
鼠大明神として岩鼻に祠を建ててお祀りした。
この祠があったところが、現在の半過の岩鼻の中央部にある半過の洞窟であるという。
また、この神鼠に岩がかみ砕かれてできた流れが千曲川で、
ネズミに食いちぎられて残ったところが、この千川を隔てて相対している断崖で、
現在、半過の岩鼻と塩尻の岩鼻であるという。
塩尻という地名もここが大湖の北端であったので「湖尻」から転じたそうな。
…ということらしいです。もっと現実的な話もありましたが、それは割愛しちゃいます。
昨日、ネットで調べていてヒットしたものです。
ここみたいに、四角ければ覚えられるかな?
ここは違う角度から見ても四角かった…

ねずみ…という地名も…楽しいですよね(笑)
Posted by ろぜっと山口 at 14:39│Comments(0)
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