2013年11月19日

11月19日の記事

新着情報…

diary毎度、要約筆記として現場に入ることは参加ではないという物議をかもしれだしているのは私でございますが、それは、ろう者・通訳者間では、大変めんどくさいトラブルだということが、本日判明いたしました。

要約筆記に行った先で、楽しむことができるのは、コミュニケーションが成り立つ場なのであって、
コミュニケーションの成り立たない場では
要約筆記者のための参加の保障(情報保障)が付いていなければ、楽しむことは不可能です。

参加にはなりませんから。

要約筆記をするための読み取り通訳はつきます。
が、
参加費払うなら、他のイベントも楽しみたい…けど、どこへ行ってもコミュニケーション手段は手話…
そういう場所だったら、おそらく、参加費払ってまで参加したいとは思わないはず。

それが一般的な健聴者ですよ。
興味のある内容なら、読み取り通訳等の有無を確認して参加検討ってことにでもなりましょうけど。

手話に深くかかわり、ろう者・ろう文化への造詣の深い方々とは違います。

要約筆記が必要ですって言われるから行くんです。通訳という仕事をしに。

ほんと、参加できないのに参加費払うって…ありえないと思う。

ボランティアで行くにしても、参加費は払えと言うことなのだから…
要員として駆り出されるサークル員もすべて支払え…って言ってるんだから、
謝金を出す要約筆記者が払うのは当然とも受け取れる言い分もありました。

ほんと、おかしいと思うけど…どうすれば、そこがわかるんだろう?

プロの通訳者を望みながら、ボランティア意識ばかりを優先させている気がしてならない。


例えば…ろう者団体のイベントなんだから、サークル(聴者)の手伝いを最小に抑え、
自分たちでおおよそのことをして、できない部分、耳で聞いて行わなければならない部分だけを
サークルなり、通訳者が支援する…それが本来の形でしょ?…
(どうやら、この考え方は“非常識”らしく、協力し合うのが常識と考えるらしい)

例えば…要約筆記者の大会だと、参加しいてくれるろう者や難聴者に必要な情報保障手段を準備する。
けど、自分たちで賄える部分は自分たちでやる。
参加費払っているけど、それは自分たちの団体の大会だから。
自分たちでできない手話通訳とか外国語通訳などのところは手話通訳などの専門家にお願いする。
その皆さんから参加費はいただけない。
時間割いて通訳という仕事をしに、私たちのイベントに来ていただくのに。

だから…県の大会だってそうでしょ?
県民として参加は自由。
けど、どんな人にも聞いてほしいから情報保障を付けるわけで…
県庁職員がすべてを賄えないから、要約筆記や手話通訳を依頼するんでしょ?
時間割いて通訳という仕事をするから謝礼になるわけで、仕事ですよ、仕事。

聴覚障害者は、自分たちがその場に参加したいから通訳派遣を依頼していくんでしょ?
自分たちで企画する以上、
相互のコミュニケーション手段を保障するのは主催者の責務であって、
参加でもない要約筆記者や通訳者から参加費を取るべきではないと思うんです。

icon26一言加えると…
そこに参加したい、何らかの得るものがあると考える通訳者、要約筆記者は参加費を払ってしっかり学べばいいと思います。
要約筆記者だから学べないとは思っていません。
要約筆記者用に読み取り通訳もつきますから。
ただ、要約筆記を担当するとなると、他のイベント(分科会)を見ることもできませんし、楽しむことも時間的に無理ですから、やはり参加ではないと思います。

協力費だというなら、協力費、協力体制を整えることで解決できる部分だってあろうかと思うけど。

あまりお金に汚いようなことをし続けるのは…どうでしょう?
ボチボチ、お仕事で来る通訳者に参加費を求めるのは止めませんか?

例えば、取材で来る新聞記者、テレビクルーからも参加費取るの?
そんな大会に何十人も取材の人が集まりますか?

何十人も派遣しなければならない団体の苦悩…face07


Posted by ろぜっと山口 at 18:21│Comments(4)
この記事へのコメント
ろぜっとさんの意見に全面的に賛意を表明します。

プロの仕事とはと言う最も根元的な部分を語らねばならないなんて、余りにも愚かしいし、また時間の浪費以外の何ものでもないと思います。

道半ばなのでしょうか?
それとも、当該団体の硬直化した意識なのでしょうか?
はたまた、ある種の権威という特別意識が働いているからでしょうか?

ちょっと常識的に考えれば、特別に訓練されその任に堪えうる業務をする方を使うと、必然的対価が生じることは普通だと思うのですが・・・。

何とか言葉を重ね、丁寧に粘り強く説明し、
意図が伝われば良いですね。
我々はプロなのだ。プロを使う時はそれに見合った対価が生じるのは当たり前だ!と。
Posted by 西 at 2013年11月19日 19:23
西様
ありがとうございます!
とても励まされます‼︎めげずに…丁寧に…言葉を重ね、粘り強く頑張りたいと思います。
当該団体は、かなり硬直化しているようですが…特別意識も強いですね(>_<)
手話通訳者、手話通訳士がその状態を認めてしまっていることにも問題があると感じますね。
全国組織がきちんと主張してくれないと、末端では対抗しきれないものを感じていますが、そこも当てになりませんしね(T ^ T)
Posted by ろぜっと山口ろぜっと山口 at 2013年11月19日 19:43
よく似た話は結構あります。

大昔、ある野外彫刻展に招待作家として出品した折り
作家仲間と雑談の中で「展覧会が終わったら保管する場所もないので解体する」と言っていたのですが、
それを聞いていた主催者(公的機関)から「移動設置費用は負担するから寄贈して欲しい」と言われました。
即座に、「ただではお譲りできません。ミュージアムプライスの100万円で如何ですか?」(注:公的機関や美術館に収蔵される時は半分以下の金額でお渡しすることを言う)と返事。
主催者「破棄されるのでは?」「破棄するのでしたら譲って下さい」と。

何か勘違いしていませんか。
食費を削り、ジリジリと照りつける夏の陽にも雨にも雪にも嵐にもめげず、
真面目に聞け、ヨテンツンとバカにされ続け、
それでもアルバイトをしながら生きている。

生きることが即ち作品を創ることで、
作りたいと思い続けるからバカにされようが明日への生きる力になっている。
作品は決してよく売れる方ではない。
だが、
命を削り、
命を表出した作品は自らの手で廃棄はしても、
ただではお渡しできないモノなのです。
なぜなら、美術は僕の本分だからです。
本分を言い換えるならば「プロの仕事」と言っても良いかと思っている。
プロの仕事を善意の行為として語る有り様は、
やはり憤りを禁じ得ないのです。

相当愚痴が入りました(ペコリ)
Posted by 西 at 2013年11月20日 08:11
西さん、ありがとうございます!
本当、プロの仕事を奉仕で…と考えるのは、日本人の倫理観の甘さにあるような気がします。
きちんとしたプロの仕事を求めるのか、多少いい加減で信用できなくても、ボランティアがいいのか。
そういう選択肢がないですね。
無料で展示する作品が欲しければ、小学生にでも作ってもらえ‼︎ですね。
多少いい加減で良いなら、今から仕事ができる人の予定をおさえる必要はありませんが。
県のレベルが低いと見られてしまうことは確かです。それは我慢できんし、ジレンマになっています。
Posted by ろぜっと山口ろぜっと山口 at 2013年11月20日 08:31
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