「通訳」…って…

ろぜっと山口

2013年06月11日 13:17

今しがた、ツイートされたものが…衝撃の事実だったりして…思わず紹介。

「きみ、英語得意なんだって?ちょっと『通訳』してよ」というのは、「運転得意?ハイヤーの運転してよ」とか「料理得意?レストランの厨房預かってくれる?」とかと同等(もっといい例ないかしら)。それらしいことはできても、プロにはかなわない。なんで通訳はこう軽んじられるのか
Yumiko F ‏@nest1989 (20130611 12:20頃)


うん!同感!

外国語や手話の通訳は、「できない人」がいる分、まだ重さがある。

要約筆記は…泣けるほど軽んじられている。

「要約筆記?何それ?」…当たり前のレベル…(泣)
「字で?それなら誰にでもできるから、内々でやるから要らない」…たまにあるレベル(泣)
「通訳?そんなのなくても普段からコミュニケーションできているから大丈夫」
   …全然わかってないレベル…でも、結構多い(泣)


つまり…

「字?書ける書ける。うん、書くから大丈夫だよ。」…あれ?普通ジャン…ってことね。

わかります?どれほど軽いか…(泣)

通訳は軽んじられている。中でも、要約筆記という聴覚障がい者に音声情報を文字に変えて伝える通訳は!

「書ける」=書いて伝えることができる…とはならない。

よく手話通訳の方々がおっしゃいますよね、「手話ができる」=「手話通訳ができる」ではない!と。
それでも、手話の場合、手話ができるという制限があるんですよね。

要約筆記の場合は…
誰でも文字は書けるので、それだけで、だれでもできると思われてしまう。

でも逆じゃないかなぁ?

外国語や手話は、覚えれば、通訳は難しくてもコミュニケーションの世界は広がる。

だけど、要約筆記は「通訳」としてしか存在しないもの。

文字が書けるだけなら「筆談」というコミュニケーション方法があると思う。
他にもメールやチャットというコミュニケーション方法、
新聞や雑誌、電光掲示なども文字情報ではある。

けど、要約筆記は必ず、人と人の間で話を仲介している「通訳」。
日本語から日本語へ…
だから誰にでもできると思われるもの…なんでしょうね。


利用者の話、家族の話、関係者の話を聞き取り、計画を立てるのが、ケアマネの仕事。
ケアマネの中には…
「皆さんの話を記録しきれない。話に追いつけない…。」と悩む人さえいる。

記録でさえ…である。

それを読み手のある「通訳」だったら…
その場で、書いたものは読み手に通じなければならず、読み返しや訂正は難しいというのに…
なぜ、軽く「書けるから~」と思われてしまうのだろうか?

PR不足なのかな…

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