http://mainichi.jp/select/news/20130907k0000e040205000c.html
毎日jpさんの記事。
障がい者差別の実態。増えてるんだ…
そして…障がい児(者)親の会の方の話…
http://www.seikatsushoin.com/web/fukui12.html
重い…
障がい者だから「ありがとう」を言わなくてはいけない現実…
確かにあるかもしれない。
「ありがとう」を言われたくてボランティアしてるんだと思われることもあった。言われたりもした。
いや、別に…言葉なんかどうでも良いんだけど…
そこに、その言葉があると、コミュニケーションがスムーズでしょ?
相手に対しての感謝の表現だから…障がい者に「ありがとう」を言う場面だって普通にある。
けど…障がい者が、健常者に言わなければならないことが多いのも事実だろうなぁ…
この方の文章を紹介した竹端先生は下記のように書いている。
(竹端先生→
http://www.surume.org/)
福井さんの文章からは、障害者やその家族が、
「健常者支配」の中で感じる屈辱感ややりきれなさが伝わってくる。
→「当事者が「ありがとう」を言わなくてすむ関係を、
そのような社会の仕組みをつくっていく方向に、
その善意は向かうべきなのでは」
と。
「健常者支配」…大多数…マジョリティ…発言力、政治力、鈍感さ…
「障がい者」…少数…マイノリティ…発信力の弱さ…「お世話になる」という日本的考え方?
(私が考えようとすると…単に連想ゲーム?みたいになっちゃう…だめだ…思考力の欠如)
思考力が欠如しているから、全部、自分と同じようなものとして動いちゃう。
他への目配り気配りができないんだ…想像ができないんだ…
そんな人たちが政治を動かしている事実も…はっきりしてるしなぁ(五輪招致で明白)。
「ありがとう」は感謝を伝える大事な言葉。
その言葉が屈辱を伴わず、素直に発信できる社会にならないといけないんだ…
屈辱を感じてしまう社会を変えなければならない…ってどうやるんだろ??わからん。
少なくとも「〇〇時間テレビ」のような方法はおかしい。それは確か。私にもわかる。
方向性を変えれば使える…と思う。発信力のあるメディアの影響は凄い。
上手に活用してもらいたいが…「うけ」が目的のメディアではあてにならん。
結果的に、福井さんのように、切ない思いをする人が出ているんだから。
立場が違うと感じ方が…こうも違うのだ…そこへの意識、想いを巡らすことを忘れてはならないんだ…
難しいなぁ…